海の歌 3(全3回)
キラキラ輝く海。遠くの沖を、一艘の漁船が通り過ぎて行く。それはそれで、どこへ行くのか気になる。ぼんやりとそんなことを考えていると、やおら彼女は立ち上がり、何の前触れもなく歌い始めた。
「海は広いな大きいな……」
澄んだ声で歌いながら、彼女は漂うようにこちらへ近づいてくる。この時、初めて彼女の顔を正面からまともに見た。整った顔立ちからは、何か言葉にできない幸福感が見受けられた。
〈何がそんなに幸せなのだろうか……?〉
そんな考えが頭の中をよぎったその時、彼女は僕の隣に座った。さっきと同じように、ふわりと舞い降りる何かのように。
「行ってみたいなよその国……」
歌い終わったその時、僕は柔らかな重みを感じた。潮風の中に、ほのかな甘い香りが含まれていた。何が起きたのか、咄嗟に受け入れることができなかった。ただ、僕の火照った頬は、通り過ぎて行く潮風だけで冷やされることはなさそうだった。
初夏のある日、静かな漁港でのできごとだった。
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