海の歌 1(全3回)
海が見たかった───
それだけの理由で、都心の駅から特急列車に揺られてこの駅へやって来た。とは言っても、ここから海までは少し距離があるようで、ここでローカル私鉄に乗り換えなければならない。
駅の片隅にあるローカル私鉄の乗り場には緑色の二両編成の列車が止まっていた。都会の路線で走っていた車両が払い下げられたものなのだろう。古めかしいデザインだ。乗り場には改札口はない。切符は車内で買うようだった。列車に乗り、車掌から終点までの切符を買った。
スマートフォンで地図を見る。終点の駅と海はそれほど離れていない。終点まで行くにしても、それほど時間はかからないらしい。ワクワクしてくる。心躍らせる僕を乗せた列車は、僕が席に着いてしばらく経つと、ゆっくりと海のある街へ向けて動き出した。窓の外を見ると、初夏の抜けるような青空がそこにあった。
列車は、大きなカーブを曲がって進んで行く。辺りは工場に囲まれていた。その先に、小さな駅があった。さっきから列車にはそれほど人も乗っていなかった。ここでポツリポツリと人が乗って来る。その時、開いたドアから潮風も乗って来た。
また列車は動き出す。今度はどこかローカル私鉄らしからぬ賑やかな街の中を行き、また駅に一つ止まる。ここからもポツリポツリと人が乗って来る。始発駅を出た時には人影もまばらだった車内。ここへ来てだんだんと賑わい始めてきた。
街中にある駅を出た列車は、家々の中をすり抜けるようにして進んで行く。ぼんやりとその風景を見ているうちに、木立に包まれた高台を走っていた。木々の隙間から遠くに青々とした海が見えた。
〈来てよかった……〉
その海を見た時、僕はそう思った。
列車が進んで行くにつれて、木々が多くなってくる。〝新緑〟という言葉がよく似合う風景。その中に、小さな駅があった。プラットホームには待合室があり、使われていない駅舎もあった。どちらも古びている。周りを包む緑と相まって、まるで幻想小説の世界だった。
ゆっくりと開いたドアから、一人の女性が乗って来た。透き通るような白い肌の美人だった。僕の斜め向かいの席にふわりと座ると、体をひねって窓の外を眺め始めた。まるで何かを慈しむような、そんな眼差しで。背後からは木漏れ日が差し込んでいる。その姿は、神々しいとさえ言えた。
彼女の様子を見るともなしに見ているうちに列車はキャベツ畑の中を進み、少しずつ終点に近づいて行く。いくつかの駅を経て岬が近いという駅に止まると、車内にいた人の大半はここで降りた。僕もここで降りればよかったかなと思ったけれど、彼女に降りる様子がなかったので、このまま列車に乗っていることにした。何となくだけれど、彼女が気になって仕方がなかった。
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