奥多摩旅行記 第3回(全18回)
列車は東村山駅を出ると、すぐに小さな川を渡る。空堀川という名前のこの川は、晴天が続くと季節を問わずに水が干上がってしまい、まるで砂利道のようになってしまう。まさに名は体を表す。この近くの団地の敷地内には、廃車になった西武電車の車体を利用した図書館もある。
空堀川を渡ると、列車は同じ国分寺駅を基点としている西武多摩湖線の線路をくぐる。国分寺線も多摩湖線も、元は別の鉄道会社として成立したため、未だに交差する地点には駅がない。そこから間もなくして、列車は小川駅に着いた。
2つの路線が乗り入れているので、小川駅の構内は広い。信じられない話かも知れないが、戦前や戦中、戦後といった下水道の整備がまだ不十分だった時代に、ごくわずかながら貨物列車で人間の排泄物を輸送していたことがあったらしい。その中でも、西武鉄道が行っていたことは有名だ。その貨物列車に用いられていたと思われる線路が、わずかながらこの駅の構内に残っている。それと関連性はないけれど、拝島行きの列車を待っていてトイレに行きたくなったので、その次の拝島行きの列車に乗ることにした。
トイレから戻り、プラットホームにある待合室でぼんやりしていると、国分寺行きの列車の入線を告げる案内放送が入った。待合室を出て、先に向かいの乗り場に入線していた東村山行きの列車との並びを撮影する。国分寺線は全線が単線なので、日中はここと恋ヶ窪駅で列車の待ち合わせをしている。両方の列車が去ってからすぐに拝島行きの列車もやって来た。黄色い電車が来ると思えば、アルミ製の新型電車だった。新型と言っても、製造が開始されてから8年が経つのだけれど。
拝島行きの列車は、武蔵野の面影を色濃く残す風景の中を走って行く。今でこそ10両編成の列車が西武新宿駅との間を行き来している拝島線だけれど、かつては玉川上水駅までの上水線という路線だったそうだ。当時の写真を鉄道雑誌で見たことがあるけれど、2両編成の旧型電車が行き来するのんびりした路線という印象を受けた。次の東大和市駅の辺りでは高架橋の上を走る。後はほとんどのどかな風景の中を行く。
玉川上水車両基地の横を通り、玉川上水駅に着く。多摩モノレールとの接続駅であるこの駅は、その名の通り、駅前に玉川上水が流れている。この駅で乗っていた人のほとんどが降りてしまい、列車の中は静まり返ってしまった。
隣の武蔵砂川駅の前後でまた少しだけ高架橋の上を走り、また地上に下りる。その次の西武立川駅とJR線の立川駅は、恐ろしいほど離れているそうだ。他に名前の案がなかったから西武立川という名前になったのだろうけれど、何だか紛らわしい。
その西武立川駅を出ると、線路は単線になる。晴れ渡った空の下、遠くには山並みが見える。奥多摩とか、秋川の山並みだ。列車が進むにつれて、その山並みは少しずつ近づいてくる。その中に、一瞬だけ富士山が見えたような気がした。
車窓からの山並みをぼんやりと眺めているうちに、いつの間にか隣にJR線の線路が現れたていた。もうすぐで拝島駅に着く。この駅は、地方都市のターミナル駅という雰囲気だ。小川駅から乗った列車は、その片隅にある西武線乗り場にゆっくりと止まった。
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